清浄な山の空気を体いっぱいで呼吸したくなって、デルフォイ(現デルフィ)に行った。アテネから車で3時間ほどの距離である。リオシオンのバスターミナルから長距離バスに乗り、徐々に緑の濃くなる景色の移ろいを眺めながら、徒然に時を過ごす。アテネでの生活で、心身が随分頑なになっていたと自覚する。バスはエラトーで休憩を取った。ここから1時間弱で到着である。スキー場で有名なアラホヴァの町を抜けて少しすると、雄大な岩山を背景にデルフォイの神域が姿を現した。バスを降りて、遺跡に向かう。小さな猫があちこちを歩き回っていて可愛らしい。澄んだ空気のなかで見る山々は、距離や大きさを掴めないほどに雄々しく、体の感覚がぐらりと動揺する。11月の神域の空気は濃く、冷たかった。



アポロンの神域を入るとすぐ、長方形の区画に崩壊した柱が連なる遺構がある。レンガ壁を背景にキリスト教モチーフの石板が並ぶ。ここで足を止める人はほとんどいないけれど、本来否定し排除すべき異教の神域にキリスト教の施設を置くことの意味は、きっと深くて大きい。アテネのシンボルであるパルテノン神殿は古代建築を代表する傑作だが、中世のおよそ千年間、聖母マリアに捧げられた聖堂として機能していた。忌避すべき要素を取り込みながら自らの身体や正統性を形成していくこと、付随する意味を変化させながら生き残る形態の生命力、いかなる宗教であろうと不動の聖域。神殿基部の石組のわずかな隙間に根を張る植物にも、歴史のダイナミズムが宿っている。それらを眺める私の「今」の不思議を思う。
劇場跡は、現在では人気の写真スポットである。以前に友人たちと訪れた時には、舞台でオペラを歌う真似をしたところを観客席の上から撮影してもらったが、今回は一人なので他の観光客の様子を観察していた。舞台中央で必死に逆立ちをする男の子が面白かった。直立した姿を撮りたいのに、すぐに倒れてしまうのでシャッターチャンスが難しい。何度目かの失敗の後、デジタルカメラを持っていた女の子が「やったわ!」と喜びの声をあげた。成功した写真よりも、その前に切り取った沢山の滑稽な瞬間が、あとで彼らを笑いに誘うのだろう。閉園間近になったけれど、せっかくなので遺跡の一番高いところにある競技場まで登った。林に隣接する競技場はすぐ脇を歩くことができ、コースの長さを体感できる。

アポロンの神域を出て、アテナ・プロナイアの神域に向かう。途中、カスタリアの泉を通過する。その昔、デルフォイを訪れる人々は神域に入る前、この泉で身を清めたという。神社でまず手水を使うのに似ている。神域と水とは密接な関係を持つ。アスクレピオスの神域では湿気が病を癒すのに重要な役割を果たしたし、オリンピアには現在も小さな川が流れる。海際の神殿、海に囲まれる島の神域なども例として挙げられるだろうか。ビザンティン時代にも泉を擁する聖堂や修道院があり、カスタリアの泉にも礼拝堂が建てられた。現代の観光客の間では、この泉の水を飲むとギリシアを再訪出来ると言われている。私は留学前、二度ほどギリシア旅行に来ているが、そのたびにこの水を飲んだ記憶がある(今では泉への立入りは禁止)。カスタリアの泉を二度飲むと、祝福か、呪縛か、ギリシアに長年住むことになるらしい。
泉を通り過ぎた時、ふと手の甲に何かの感触を感じた。見ると、雪虫である。小さな黒い体で、おしりのところに仄かに青みのある白い綿をつけている。この虫がふわふわとたくさん宙に舞う様は雪降りのようで、「雪虫」の呼称はそこに由来する。私の故郷北海道では、初雪の前兆としておなじみの虫である。温度に弱く、寿命わずか1週間の儚い生命。子供の、温度の高い手で触れると、淡雪のように虫の綿が溶けて消えてしまう。小さい頃、どうすれば雪虫の綿を溶かさずに手に載せられるか、追いかけて何度も挑戦した。20年近く経った今、故郷から遠く離れた場所で、雪虫は知らぬ間に冷えた私の手にとまり、それに気づくと微かな気配だけを残し飛んでいった。

アテナの神域はひと気が少なく、しっとりと落ち着いた雰囲気を持つ。カスタリアの泉の水がここまで流れていて、水音が心地よい。円形のトロスは、私のお気に入りの建築のひとつである。奉献対象も用途も明らかではない。初期キリスト教期(紀元後4−7世紀)には、円形プランは墓廟や殉教者堂など死に関わる建築形態であった。時代が下って、9世紀以降のビザンティンの聖堂には、方形プランに円形のドームが冠せられるようになる。何故かはわからないけれど、私は円や球に魅かれてしまう。この嗜好は、私の精神の本質的な部分に関わるものかもしれない。
広々としたギムナシウムは紀元前4世紀に創設されたもので、その後ローマ人たちにより改築された。地中に浸み込む泉の水のおかげで、緑が多い。徐々に低くなってきた太陽が木や石の影を長く伸ばし、地面の色をゆっくりと優しいオレンジ色に染めていく。見上げると薄く刷毛で刷いたような雲が空全体に広がっている。一瞬、太陽が三つに見えた。よく目をこらすと、大きな円光の両側の少し離れたところに、小さな虹色がかった光がある。広大な空に並ぶ三つの輝きは、ここが神域であることも相俟って、神々の現前を思わせた。私は初めて見たけれど、幻日と呼ばれるこの現象は、いくつかの条件が揃わなければ起こらない。太陽の高度が低い朝か夕刻、気温が低く、筋状の雲が出ている時に見られるそうである。はからずもスケールの大きな大気現象を目の当りにし、しばし佇んだ。

朝から食事をとらずに歩き回っていた。以前デルフォイを訪れた時に食べた、ペコロスという小さい玉ねぎとウサギ肉のシチューをもう一度味わいたくなり、遺跡から町に向かう。この美しい山間の町で、美味しい食事を堪能し心身ともに活力を得ようと思った。観光シーズンの終わった町の夕刻は、開店している店が少なくて淋しい。帰りのバスチケットを購入すると手持ちのお金が少なくなったので、ATMを探した。カードを入れて手順を進めるが、一時的に受け付けられません、のメッセージが表示される。別のATMも同じ。こういうことは時々ある。仕方なく今持っている額で済ませることにした。ぎりぎりメイン一品だけ注文できるが、ここでふと不安が頭をよぎる。今晩アテネに戻った時、バスのストライキがあったらどうするか。ストライキはよくある。郊外のリオシオン・バスターミナルから家まで徒歩では無理だ(最低の最終手段だけど)。タクシーを使うことになるが、お金がなければ帰れない。もしアテネのATMでもお金がおろせなかったら、面倒なことになる。逡巡しながら小さな町を2周半歩き回り、結局アテネでもよく食べている、安いギロ・ピタを買う。歩き回っている時よほど険しい顔をしていたのか、通りがかりのギリシア人のおじさんが「お嬢さん、何かあったの?大丈夫?」と声をかけてくれた。「お腹いっぱい美味しい食事がしたいのに、お金がないから迷っている」とも言えず、大丈夫、ありがとう、と答える。せめて少しでも贅沢な気分をと思って、キオスクでビールを買い、見晴らしのいいベンチに腰掛けた。冬の初めの夕暮れ時、デルフォイは寒かったけれど、色彩豊かな夕空と青く雄大な山景色、そして今日一日の散策に乾杯した。


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